神保町で用事があったので、久々に「兵六」に行くことにした。兵六はいつも常連さんでいっぱいの店だ。東京でもこれほど常連さんに愛されている店は少ないのではないだろうか。この店の常連さんは毎日必ず顔を出すという。兵六が生活の一部になっているのだ。だからこそ、いつも席があるわけではない。店に入れるかどうかは時の運だ。
入口を開けて中を覗くと空席はなさそうだった。ご主人は何やらお客さんと話をしていたが、すぐにこちらを向いて、手前のカウンターに座るように合図してくれた。
どうやら入れ替わりで常連の方が席を空けてくれたらしい。その方が「今日はこれで帰るから」と言ってくれた。お礼を言って席に着く。まずはビールを注文した。
兵六は昭和23(1948)年創業の老舗。現在は3代目が店を継いでいるが、先代のこだわりは今も生きている。冷暖房はないし扇風機もない。電話すらないらしい。このスタイルは居酒屋好きの心をくすぐる。暑ければ開ければいいし、寒ければ閉めればいい。電話なんかいらない。そんなちょっとしたことが居酒屋の空気を作っていくのだろう。
先代夫妻が上海帰りの鹿児島出身ということで、上海料理や鹿児島料理には説得力がある。兵六は店内の雰囲気が素晴らしい店だが、料理を目当てに毎日この店に訪れる人も多い。
そういう意味では、餃子、炒麺(やきそば)、炒豆腐、さつまあげあたりが名物になるのは当然というものだろう。料理は文句なくうまい。料理と雰囲気がよければ酒は何でもいい。次の酒は芋焼酎のお湯割りにした。
お会計を済ませて帰る時に常連さんが声を掛けてくれた。「ありがとうね。また来てね」。みんな兵六の家族のような感覚なのだろう。この人はこの店を愛して毎日ここに通っている。店の空気はお客さんも含めたみんなで作って来たものだ。ご主人はもちろんのこと、この店に関わる全員がこの店を支えている。居酒屋好きならば一度はこの温かい空気に触れておきたいものだ。